北海道にツキノワグマがいない理由を地質と進化から徹底解説

この記事では、北海道にツキノワグマがいない理由について、ヒグマとの違いやクマの分布、ブラキストン線と呼ばれる生物境界線、津軽海峡による地理的隔離などをまとめて解説していきます。

北海道ツキノワグマ生息しない理由を調べていると、北海道ツキノワグマ目撃情報や、本州にヒグマがいない理由、ヒグマとツキノワグマの違い、日本のクマの分布、生息域の境界としてのブラキストン線など、いろいろなキーワードや断片情報が出てきて、かえって混乱してしまう方も多いはずです。

とくに、「北海道にもツキノワグマがいるのでは?」「黒っぽいクマを見たけれど、それはツキノワグマ?」といった不安は、アウトドアを楽しむ方や北海道にお住まいの方にとって、とても現実的な心配ごとだと思います。

そこに津軽海峡や氷期の歴史、地理的隔離や進化の話が絡んでくると、「もうよく分からない」という状態になりがちです。

そこでこの記事では、北海道にツキノワグマがいない理由を、地質・気候・進化・生態の4つの視点で整理しつつ、ヒグマとツキノワグマの生息域の違い、本州にヒグマがいない理由との関係、そして「目撃情報」がなぜ起こるのかまで、順番に分かりやすくお話ししていきます。

この記事を読むことで理解できる内容は以下のとおりです。

  • 北海道にツキノワグマがいない理由の全体像
  • ブラキストン線と津軽海峡がクマの分布に与えた影響
  • ヒグマとツキノワグマの違いと生息域の境界
  • 目撃情報や噂と、実際の生態・安全対策のギャップ
目次

北海道にツキノワグマがいない理由を探る地質学的要因

まずは、「そもそも北海道と本州の自然環境はどう違うのか」という、土台となる地質・地形の話から整理していきます。ブラキストン線や津軽海峡の水深、氷期と海面変動の関係を押さえると、クマの分布がなぜここまでくっきり分かれるのかが見えてきます。

地形や地質の話は一見むずかしそうですが、「いつ、どこが陸続きになって、どこが海として残ったのか」という点に絞ると、ぐっと理解しやすくなります。クマの分布も、最初は「どのルートから日本に入ってきたか」「どこに足場を得たか」という歴史の結果なので、ここからじっくり見ていきましょう。

ブラキストン線とは何か

北海道にツキノワグマがいない理由を語るうえで、外せないキーワードがブラキストン線です。

ブラキストン線は、津軽海峡付近を通る生物地理学上の境界線で、「この線より北はヒグマ」「南はツキノワグマ」といった形で、クマだけでなく多くの動物の分布を分けています。

この境界線は、イギリスの鳥類学者トーマス・ブラキストンが函館在住中の観察から提唱したもので、「北海道の動物相は大陸的、本州以南はアジア東部~日本固有色が強い」という気づきを図式化したものです。

具体的には、北海道側にはエゾヒグマ、エゾシカ、エゾリス、シマフクロウなど北方系・大陸系の生き物が多く、本州側にはツキノワグマ、ニホンザル、ニホンカモシカ、ニホンリスなど、暖温帯や日本固有色の強い種が集中しています。

ブラキストン線の本質は、「海峡があるから境界」という単純な話ではなく、「氷期にどこまで陸が露出したか」「どの方向から動物が流入したか」という地質・気候の歴史の積み重ねです。

最終氷期に北海道はサハリンやユーラシア大陸と陸続きになり、大陸側からヒグマなどが流入しました。

一方、本州側は朝鮮半島方面とゆるやかに繋がり、南方系の動物が入り込んだ――その結果として、ブラキストン線を挟んで、まるで「別の大陸の切れ端」のような生物分布が出来上がったのです。

ブラキストン線は、あくまで「傾向」を示す線であって、一本の細い線の上でピタッと動物が切り替わるわけではありません。

ですが、クマに関しては、北海道側にヒグマ、本州側にツキノワグマと、かなり分かりやすい分布の分断が見られます。

クマという分かりやすい大型動物を入り口にすると、ブラキストン線という少し専門的な概念もイメージしやすくなります。

この線を意識して日本地図を見ると、「なぜ北海道にはニホンザルがいないのか」「なぜ本州にはエゾシカではなくニホンジカがいるのか」といった、他の動物の分布の不思議も連鎖的に理解しやすくなります。

クマの話は、じつは日本列島の生物地理全体を理解するための、とても良い入口になっているのです。

津軽海峡の水深と最終氷期の海水準変動

なぜブラキストン線が津軽海峡付近に引かれるのか。

その理由の一つが、津軽海峡の水深と氷期の海面変動です。

最終氷期には海面が現在よりおおよそ100〜130mほど低かったと推定されますが、津軽海峡の鞍部(水深がいちばん浅い部分)もおおむね同じくらいの深さと考えられています。

つまり、海面が下がっても、津軽海峡は完全に地続きになるかどうかギリギリのラインで、たとえ浅くなったとしても、冷たい海水や強い潮流が残る「渡りづらい場所」のままだった可能性が高いのです。

一方で、宗谷海峡や間宮海峡のようにもっと浅い海峡は、氷期には明確に陸橋として機能し、ヒグマをはじめとした北方系動物の移動ルートになりました。

氷期の海面と「隠れた地形」をイメージする

現在の海岸線だけを見ると、「北海道も本州もそんなに離れていないのだから、クマくらい渡れそうだ」と感じるかもしれません。

しかし、氷期の海面低下をイメージすると、実際には「浅い海底が広く露出した地域」と「それでも深いままの谷のような海峡」がくっきり分かれます。

津軽海峡は、まさに後者のタイプで、深い谷のように残った部分です。

この違いが、動物たちの移動ルートを大きく左右しました。

間宮海峡や宗谷海峡が干上がることで、ユーラシア大陸〜サハリン〜北海道が陸橋で結ばれ、多くの北方系動物はそのルートをたどりました。

しかし、津軽海峡は最後まで深い水路として残り、本州と北海道の「生き物の交流」を強く制限し続けたのです。

ポイント
津軽海峡は、氷期の海面低下があっても完全な陸地になりきれず、クマのような大型哺乳類には「渡れるかどうかギリギリの障壁」として残り続けたと考えられます。北海道ツキノワグマ生息しない理由の背景には、このわずかな水深差が積み重なった歴史が潜んでいます。

津軽海峡が生物移動に与えた障壁の強さ

クマが海を渡る能力を考えると、津軽海峡は単に距離だけでなく、潮の流れや水温も含めて、かなりハードルの高い海域です。

ヒグマは脂肪の蓄積量が多く、冷たい海でもある程度の距離を泳ぐことができますが、それでも津軽海峡クラスの海峡を頻繁に往復できるわけではありません。

一方、ツキノワグマは体格が小さく、どちらかと言えば森林での生活に特化したタイプのクマです。

遊泳能力はゼロではありませんが、北海道ツキノワグマ生息しない理由の一つとして、津軽海峡のような長距離かつ低水温の海域を自力で渡り切るのは、生理的にかなり厳しかったと考えられます。

津軽海峡には速い潮流や荒れやすい気象条件もあり、「たまたま個体が流されてきた」といった偶然に頼るには、リスクが高すぎる場所です。

「クマは泳げる」けれど、何でも渡れるわけではない

野外調査の例を見ると、ヒグマが数km〜十数km程度の海峡を泳いで島間を移動した事例は確認されています。

ですが、それはあくまで比較的穏やかな海域での話であり、津軽海峡のように潮流が複雑で水温も低い環境では、同じ距離でも難易度は段違いになります。

ツキノワグマに関しては、長距離の遊泳移動が繰り返し観察されているわけではなく、泳ぐ能力自体はあっても「海を越えて分布を広げるタイプのクマ」とは言いがたいのが現実です。

ここでお伝えしている距離や水温に対する耐性は、クマの生理学や観察例から推定される一般的な目安であり、個体や状況によって差があります。

このように、「海の幅」「水深」「水温」「潮流」といった複数の要因が組み合わさり、津軽海峡はクマにとっての強力なフィルターとなりました。

その結果、北海道側にはヒグマ、本州側にはツキノワグマという、現在の分布パターンが長期にわたって固定されていったと考えられます。

最終氷期と植生変化による環境条件の違い

氷期に海面が下がると、一見すると「クマも渡りやすかったのでは?」と思われがちですが、実際にはそのタイミングの環境がツキノワグマ向きではありませんでした。

寒冷な氷期の北海道周辺は、ツンドラや針葉樹林が中心で、ドングリなどの堅果類は少なく、ツキノワグマの主食となる森林性の植物資源が乏しかったのです。

氷期の北海道は「寒いだけ」ではない

氷期というと「とにかく寒い」というイメージですが、実際には気温の低下に合わせて植物の顔ぶれも大きく変わります。

北海道では広葉樹林が後退し、トウヒやエゾマツなどの針葉樹が優勢になる一方、さらに北に近いエリアでは草本主体のツンドラが広がりました。

ツキノワグマが好むブナやコナラなどの堅果類が豊富な森は、この時期の北海道にはほとんど存在しなかったと考えられます。

クマにとって、冬眠の前にどれだけ効率よく脂肪を蓄えられるかは生命線です。

ツキノワグマの場合、その多くをドングリやブナの実といった堅果類に頼っていますが、氷期の北海道ではその「燃料」がほぼ用意されていませんでした。

陸橋が一時的に形成されたとしても、その先に待っているのが「食べたいものがあまりない世界」であれば、長期的な定着は難しかったはずです。

一方、ヒグマはサケや大型哺乳類など、動物性の餌を積極的に利用できるクマです。

氷期の北海道には、マンモスやオオツノジカなどの大型獣を含むマンモス動物群が生息しており、こうした動物質の資源を利用できたヒグマにとっては、氷期の北海道も十分に「暮らせる場所」だったと考えられます。

北海道と本州の植生差がツキノワグマに及ぼす影響

現在の北海道を見ても、本州の暖温帯落葉広葉樹林に比べると、冷涼で針葉樹林の比率が高く、ツキノワグマの好むブナ・コナラ帯の広がりは限定的です。

ヒグマはサケやエゾシカなど、動物性の餌も柔軟に利用できるのに対し、ツキノワグマはどうしても「実り豊かな森」に依存しやすい傾向があります。

現代の植生から見える「クマの向き・不向き」

本州の山地、とくに東北地方から中部地方にかけては、ブナ林やミズナラ林が広く分布し、秋になると大量の堅果類が実ります。

ツキノワグマは、これらの森の中で木登りをしながら木の実を食べ歩き、効率よく脂肪を蓄えます。

一方、北海道では冷涼な気候のため、こうした広葉樹林帯は一部の地域に限られ、全体としては針葉樹や混交林が中心です。

もちろん北海道にもドングリ類は存在しますが、本州のブナ帯のような「広く厚い堅果ベルト」があるわけではありません。

そのため、ツキノワグマが北海道に進出したとしても、餌資源の面でヒグマに対して不利な状況になりやすいと考えられます。

ヒグマは秋にサケ・マス類を大量に食べ、エゾシカの死骸なども積極的に利用するなど、動物性の高カロリー源をとり入れた生き方をしており、北海道の環境条件と非常に相性が良いのです。

この植生差と餌資源の構成の違いが、ブラキストン線をはさんだクマの分布の違いを後押ししました。

地理的には近いのに、北海道ツキノワグマ生息しない理由がしっかり残っているのは、「海」と「森」の二重の壁が効いているからと言えます。

もしあなたがクマだったとして、「餌が少なくてライバルが強い土地」と「餌が豊富でライバルの少ない土地」があれば、どちらに根を張るかは明らかですよね。

北海道にツキノワグマがいない理由を探る生態学的進化的要因

地形や海峡だけでは、クマの分布は説明しきれません。ここからは、ツキノワグマとヒグマの進化の歴史、生態の違い、本州にヒグマがいない理由との関係など、「クマ側の事情」を掘り下げていきます。

同じクマ科でも、種ごとに得意な環境や行動パターンは大きく異なります。ツキノワグマとヒグマはどちらも日本に住む「おなじみのクマ」ですが、そのルーツや生活スタイルを比べてみると、「北海道向き」「本州向き」という性格の違いがはっきり見えてきます。

ツキノワグマの進化的起源と日本列島への拡散ルート

ツキノワグマはアジアを中心に広く分布するクマで、日本のニホンツキノワグマはその一つの亜種です。

進化史をたどると、ユーラシア大陸で分化したツキノワグマの祖先が、比較的温暖な地域から日本列島へ入り込み、本州や四国・一部九州に定着したと考えられます。

ツキノワグマは「温帯の森」のクマ

アジア大陸側の分布を見ても、ツキノワグマはヒマラヤから中国中部、朝鮮半島、ロシア極東の一部など、山地性の森林に多く生息しています。

いずれも、ブナやカシ、クリなどの広葉樹林が発達し、季節ごとに多様な木の実や果実が実る地域です。

この「温帯の豊かな森」が、ツキノワグマの基本的な生活の舞台だと考えてください。

日本列島への拡散も、その延長線上にあります。

ツキノワグマの祖先は、南方の森林地帯から徐々に分布を北に広げ、対馬海峡付近が陸橋もしくは浅い海となったタイミングで九州〜本州へ入り込んだと想定されています。

こうした背景を踏まえると、「北海道の冷涼な針葉樹中心の環境」は、ツキノワグマにとって本来の得意分野からかなり外れていることが分かります。

このルートは、多くの研究で「南方ルート」に近い形が支持されています。

つまり、朝鮮半島付近から対馬海峡を経由して、九州や本州に入ってきたというイメージです。

この時点で、ルート上に北海道は含まれていません。

北側のサハリン〜北海道ルートを通る必要がなく、そもそもツキノワグマが北海道の大地を踏むチャンスが少なかったというわけです。

南方ルート説が示す本州定着の妥当性

南方ルート説の大きな根拠の一つが、化石記録です。

これまでの発掘調査では、本州各地ではツキノワグマの化石が見つかっているのに対し、北海道からはツキノワグマの化石は確認されていません。

この「北海道ツキノワグマ生息しない理由の証拠」が、南から入って北へ向かって広がったというシナリオを強く後押ししています。

化石が語る「通り道」と「行き止まり」

もしツキノワグマが北方ルート(大陸→サハリン→北海道→本州)を通って日本列島に入ったのであれば、通過地点である北海道に、少なくともわずかながらでも化石や骨の痕跡が残っているはずです。

しかし、現時点でそうした証拠は見つかっていません。

一方、本州各地の洞窟や地層からは、ツキノワグマの化石が確認されており、彼らが本州の山地に広く定着していたことを示しています。

さらに、ツキノワグマの得意とする環境が、本州側に広く用意されていたのもポイントです。

温暖な気候とドングリ豊富な広葉樹林、起伏に富んだ山地地形は、森林性のツキノワグマにとって理想的なフィールドでした。

一方、北海道側は寒冷で針葉樹林中心の環境が長く続き、進出する動機もメリットも小さかったと言えます。

本州のクマ分布やヒグマとツキノワグマの生息域については、同サイト内のヒグマは本州にはいない理由とツキノワグマ生息域完全ガイドで、より詳しく整理しています。

安全対策の観点からも、一度しっかり目を通しておくことをおすすめします。

このように、「どこから来たのか」「途中でどんな環境を通ってきたのか」を踏まえて考えると、ツキノワグマが北海道ではなく本州側に定着したことは、決して偶然ではなく、環境との相性にかなった自然な結果であると理解できます。

ツキノワグマとヒグマの体格・生態的能力差

次に、ツキノワグマとヒグマの違いを、実際の「生き方」の面から見ていきましょう。

これが分かると、「なぜ北海道にはヒグマだけが残り、ツキノワグマは入ってこなかったのか」がぐっとイメージしやすくなります。

項目ヒグマツキノワグマ
主な分布北海道・シベリアなど北方本州・四国・アジア温帯域
体格大型(オスで200kg前後も)中型(オスで100kg前後が目安)
食性雑食だが動物質利用が得意植物中心で堅果・果実への依存大
遊泳・寒さ冷水や長距離遊泳に比較的強い森林性が強く長距離遊泳は不得意
主な生息環境冷涼な山地・河川沿い・海岸線落葉広葉樹林や山地の森

ここに書いた体重などの数値は、あくまで一般的な目安です。

地域や個体によって大きく変わるため、「必ずこの範囲に収まる」と断定はできません。

この点はしっかり押さえておいてください。

クマ類の分布や個体数の把握については、環境省の資料でも整理されていますので、より詳しい統計情報を確認したい場合は(出典:環境省「クマ類の生息状況、被害状況等について」)も参考になります。

北海道向きの「ヒグマ体質」と本州向きの「ツキノワグマ体質」

北海道のような寒冷な地域では、脂肪を蓄えて長い冬眠に耐える必要があり、サケやシカなど高カロリーな動物質を効率よく利用できることが、大きなアドバンテージになります。

ヒグマはまさにそのスタイルに合ったクマで、強い顎と大きな体を活かして肉食性も発揮しつつ、植物も柔軟に利用する「幅広い雑食性」を武器にしています。

一方、ツキノワグマは、同じ雑食とはいえ、全体として植物寄りの食性を持っています。

木の実や果実、若葉や昆虫、時に小動物などを組み合わせながら生きていますが、秋の堅果類への依存度はヒグマより高いと考えられます。

そのため、堅果が不作になると人里へ降りてくる例も多く、森の状態に強く影響を受けるクマと言えます。

このような体格・食性・行動パターンの違いを踏まえると、「ヒグマは寒くて厳しい北海道向き」「ツキノワグマは森が豊かな本州向き」という大まかなイメージが見えてきます。

北海道ツキノワグマ生息しない理由は、単に海峡があったからではなく、そもそも北海道の環境がツキノワグマの性格に合っていなかったことが大きいのです。

北海道の寒冷環境での食性適応と競争排除の可能性

北海道にすでにヒグマが定着していたことも、北海道ツキノワグマ生息しない理由として重要です。

同じクマ科でも、生態的なニッチ(利用している環境や食資源)がある程度重なると、どちらかが優位に立つケースが多くなります。

ヒグマが先に「席を取っていた」北海道

北海道では、ヒグマがサケ・マス、エゾシカ、掘り起こした根や木の実など、多様な資源を使いこなし、広い行動圏で環境を利用しています。

川沿いではサケの遡上に合わせて魚を集中的に食べ、山地ではシカの死骸を利用し、春先にはフキノトウや草本も食べるなど、季節ごとに柔軟に「メニュー」を切り替えています。

もしここにツキノワグマが後から入ってきたとしても、強力な先住者であるヒグマと直接競争しながら、限られた堅果類に依存して生き残るのは、かなり厳しい戦いになったはずです。

生態学では「競争排除」の原理と呼ばれますが、似たニッチを共有する2種が同じ場所で長期的に共存することは難しく、どちらかが優勢になりやすいと考えられています。

まとめると、北海道では「寒さへの強さ」「動物食の比率」「すでに張り付いていたヒグマの存在」が組み合わさり、ツキノワグマが入り込む余地を小さくしてきたと考えられます。

このことは、逆に本州にヒグマがいない理由を考えるうえでもヒントになります。

本州の暖温帯では、ツキノワグマが先に「森林のニッチ」を押さえており、環境の変化とともにヒグマのほうが不利になって消えていったと考えられています。

北海道と本州では、同じ2種のクマでも「勝者」と「敗者」が逆転しているわけです。

北海道にツキノワグマがいない理由を総括して考える

ここまで見てきたように、北海道にツキノワグマがいない理由は、一つの単純な要因では説明できません。

津軽海峡とブラキストン線という地理的な境界、氷期の海面変動と植生の違い、ツキノワグマとヒグマの進化や生態のズレ、そして先に北海道で覇権を握ったヒグマの存在――これらがすべて絡み合って、今の分布が形作られています。

「海」「森」「クマの性格」が重なった結果

整理すると、北海道ツキノワグマ生息しない理由は次のようにまとめられます。

  • ツキノワグマは南方の温帯森林を中心に広がったクマで、北方ルートではなく南方ルートから日本に入った
  • 津軽海峡は氷期でも完全な陸橋になりにくく、クマにとって渡りにくい海峡として残り続けた
  • 氷期・現在ともに、北海道の植生や餌資源はツキノワグマよりヒグマに適していた
  • すでに北海道に定着していたヒグマが、食資源と空間を広く利用していたため、ツキノワグマの入り込む余地が小さかった

一方で、本州にヒグマがいない理由は、ツキノワグマが適応した暖温帯の森が広がり、ヒグマが依存していた大型獣や寒冷環境が失われたことと、人間の影響が重なった結果です。

この対照的な歴史が、日本列島におけるクマ分布の不思議な「きれいな分かれ方」を生み出していると言えるでしょう。

本州側でのヒグマとツキノワグマの関係や、過去の絶滅の経緯については、前述のヒグマは本州にはいない理由とツキノワグマ生息域完全ガイドで、もう一歩踏み込んだ話も整理しています。

より深く理解したい方はセットで読むとスッキリするはずです。

最後に、クマの分布や絶滅の時期などは、新しい化石発見やDNA研究によって今後も更新されていく分野です。

このページの内容は、現時点での知見を整理した一般的な解説であり、すべてを「絶対」ととらえないようご注意ください。

なお、実際にヒグマやツキノワグマの生息域に入る際には、「どのクマがいるか」を知ることと同じくらい、「どう距離を保つか」「どう遭遇を避けるか」が重要になります。

ヒグマ対策の基本や装備選びについては、ヒグマは火を恐れない前提で学ぶ実例付き熊対策と装備選びや、ツキノワグマになら人間は勝てる危険な勘違いと本当の対策解説も参考にして、安全第一の行動計画を立ててください。

どんなに知識があっても、現場での無理な接近や撮影は大きなリスクになりますので、常に一歩引いた姿勢で野生動物と向き合いましょう。

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この記事を書いた人

名前(愛称): クジョー博士
本名(設定): 九条 まどか(くじょう まどか)

年齢: 永遠の39歳(※本人談)
職業: 害虫・害獣・害鳥対策の専門家/駆除研究所所長
肩書き:「退治の伝道師」

出身地:日本のどこかの山あい(虫と共に育つ)

経歴:昆虫学・動物生態学を学び、野外調査に20年以上従事
世界中の害虫・害獣の被害と対策法を研究
現在は「虫退治、はじめました。」の管理人として情報発信中

性格:知識豊富で冷静沈着
でもちょっと天然ボケな一面もあり、読者のコメントにめっちゃ喜ぶ
虫にも情がわくタイプだけど、必要な時はビシッと退治

口ぐせ:「彼らにも彼らの事情があるけど、こっちの生活も大事よね」
「退治は愛、でも徹底」

趣味:虫めがね集め

風呂上がりの虫チェック(職業病)

愛用グッズ:特注のマルチ退治ベルト(スプレー、忌避剤、ペンライト内蔵)

ペットのヤモリ「ヤモ太」

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