「ヒグマは本州にはいないと言われるけれど、本当にそうなのか」「ニュースでクマの被害を見たけれど、あれはヒグマなのかツキノワグマなのか」と不安になって、このページにたどり着いた方も多いと思います。
ヒグマの分布や本州との関係について、できるだけ分かりやすく整理していきます。
アウトドアを楽しむ方はもちろん、地方にお住まいで日常的にクマのニュースを耳にする方にとっても、「自分の身近な地域にはどの種類のクマがいるのか」をきちんと把握しておくことは、安全対策の基本になります。
実際、日本にはヒグマとツキノワグマという2種類のクマがいて、多くの方がヒグマの分布とツキノワグマ本州の生息域を混同しています。
さらに、ネット上にはヒグマ目撃情報やヒグマ絶滅本州の経緯に関する断片的な情報があふれており、何が事実で何が誤解なのか、一般の方には判断しづらい状況です。
「ニュースでクマとだけ聞くと全部ヒグマのように感じてしまう」「登山口の看板にはツキノワグマと書いてあるが違いが分からない」といった戸惑いの声もよく耳にします。
この記事では、ヒグマは本州にはいないという前提を、単なる「そういう決まりだから」というレベルではなく、ヒグマ分布の歴史、本州に広がるツキノワグマ本州の生息状況、過去の化石から分かるヒグマ絶滅本州のプロセス、そして現代のヒグマ目撃情報の真偽まで、順番にひも解いていきます。
地理学や古生物学の知見も踏まえながら、「いつから本州にヒグマがいなくなったのか」「その代わりにどのようにツキノワグマが生き延びてきたのか」といった長い時間軸の話も紹介していきます。
登山やキャンプ、地方への旅行が好きな方にとっては、「自分の住んでいる地域やよく行く山にヒグマがいるのかどうか」「ニュースのクマ騒動はヒグマなのかツキノワグマなのか」を冷静に判断できることが、そのまま安全対策の第一歩になります。
この記事を読むことで理解できる内容は以下のとおりです。
- ヒグマとツキノワグマの分布と本州での違い
- 過去に本州にいたヒグマが絶滅したと考えられる理由
- 本州で語られるヒグマ目撃情報が生まれるメカニズム
- 本州でクマと向き合うために押さえたい安全な考え方
ヒグマは本州にはいない理由を解説
まずは現在の日本におけるヒグマとツキノワグマの分布を整理し、「そもそも本州にヒグマは生息していない」という前提をはっきりさせておきます。
そのうえで、本州の環境がヒグマにとってどのような場所なのか、ツキノワグマとの違いも含めて解説していきます。ここを押さえておくと、「ニュースで見たクマはどちらなのか」「自分の行動範囲にヒグマがいる可能性はどのくらいなのか」を具体的にイメージしやすくなります。
ヒグマ分布と本州の環境差

日本における2種類のクマの棲み分け
日本に生息するクマは、北海道のヒグマと、本州・四国を中心に分布するツキノワグマの2種類です。
ヒグマは日本国内では北海道にしか野生分布しておらず、本州にいるクマはツキノワグマと考えて差し支えありません。
環境省などの調査でも、北海道の広い範囲でヒグマが、本州のおよそ半分の地域でツキノワグマが確認されており、この二種ははっきりと棲み分けています。
ヒグマは北海道全域の森林や山岳地帯に、ツキノワグマは本州の山地・里山に、とそれぞれ「担当エリア」が分かれているイメージです。
ヒグマとツキノワグマの大まかな分布の違い
| クマの種類 | 主な分布地域 | 生息環境の特徴 |
|---|---|---|
| ヒグマ | 北海道 | 冷涼な気候、広い原生林、山岳地帯、河川沿い |
| ツキノワグマ | 本州・四国(九州は絶滅) | 温暖な落葉広葉樹林、里山、人里近くの二次林 |
なぜこのような棲み分けになっているのかというと、北海道と本州では気候や植生が大きく異なるからです。
冷涼で針葉樹林や広葉樹林が広く残る北海道は、大型で雑食性、肉食傾向も強いヒグマにとって、長期的に生き残りやすい環境です。
サケ・マスが遡上する川が多いことも、ヒグマにとって大きな利点です。
春先にはフキやササの新芽を食べ、夏から秋にかけてはベリー類や堅果類、サケなどを組み合わせることで、高いカロリーを効率よく確保できます。
本州の環境がヒグマに向きにくい理由
一方、本州は温暖で、四季のメリハリはあるものの、特に近年は夏場の猛暑が続いており、ヒグマがもともと得意としてきた冷涼な環境とはかなり異なってきています。
また、本州では古くから農耕や林業、都市開発が進んでおり、ヒグマのような大型肉食傾向の強い動物が長期的に生息できる、広くて人がほとんど立ち入らないエリアは決して多くありません。
現在の本州で陸生の大型動物といえば、ニホンジカ、ニホンカモシカ、ツキノワグマなど数種類に限られていますが、これらはいずれも、比較的温暖な気候や人間活動と共存しやすい特徴を持っています。
ヒグマは、これらと比べても体が大きく、必要とする行動圏も広いため、本州のように人里が入り組んだ環境では、どうしても人間との衝突が増えやすい動物です。
長期的に見れば、そうした動物は人間社会の中で生き残りにくくなる傾向があります。
ポイント
現在の日本列島では、野生のヒグマは北海道だけ、野生のツキノワグマは本州と四国というシンプルな分布構造になっています。この分布は、環境省が定期的に実施しているクマ類の生息状況調査でも確認されています。(出典:環境省「クマに関する各種情報・取組」)
ツキノワグマの本州生息域の特徴

ツキノワグマが暮らすエリアと生活スタイル
本州側の「クマ担当」がツキノワグマです。
ツキノワグマはもともと本州・四国・九州の山林に広く分布していたとされますが、現在では九州では絶滅したとみなされ、四国でもごく一部の山域に数十頭規模で残されているに過ぎないと推定されています。
一方で、本州の山地や里山ではツキノワグマが今も生き残っており、東北から中部、近畿、中国地方にかけて、標高の高い山だけでなく、里山や低山にも生息域が広がっています。
ツキノワグマの生活圏は、季節によって大きく変化します。
春は山菜や新芽、アリなどの昆虫、動物の死骸などを利用し、夏には昆虫や柔らかい木の実、秋にはブナやミズナラなどのどんぐり類、クリ、カキなどの果実を集中的に食べて脂肪を蓄えます。
この「秋の食べだめ」がうまくいかない年、つまりどんぐりが凶作の年には、クマが人里や市街地周辺にまで出てきやすくなり、ニュースになるような騒動の引き金になります。
本州の里山とツキノワグマの距離感
ツキノワグマ本州の生息域は、単なる自然の山だけではありません。
日本の多くの山は、かつて薪炭林や植林地として人が頻繁に出入りしていた場所で、近年は人の利用が減ったことにより、半ば放置された森(いわゆる里山)になっています。
こうした里山は、クマにとって好物のどんぐりや果実が豊富な「豊かなエサ場」である一方で、人家や畑、果樹園と隣接していることが多く、クマと人間の距離が近づきやすい環境でもあります。
そのため、ツキノワグマは非常に臆病な性質を持ちながらも、人里近くに出没するケースが増えています。
人の生活圏とクマの生活圏が重なり合うことで、「山の奥で静かに暮らしていたクマ」が「家の裏山にいるクマ」「通学路の近くまで来るクマ」として認識されるようになり、心理的な不安はどうしても大きくなります。
豆知識
ツキノワグマの胸の白い模様(月の輪)は個体ごとに形が違い、「熊の指紋」のように識別に使われることもあります。研究者は、この模様や耳の形、傷跡などを手がかりに、同じ個体がどの範囲を行き来しているのかを追跡し、生息状況の把握に役立てています。
ツキノワグマとヒグマのリスクの違い
ツキノワグマはヒグマと比べて体格が小さく、主食も木の実や山菜などの植物質が中心です。
しかし、だからといって安全というわけではなく、力の強さや噛む力は十分に危険なレベルです。
体格の小さい個体でも、人間の成人よりはるかに強い力でかみつき、引き倒し、引きずることができます。
実際に、本州でもツキノワグマによる重傷・死亡事故が継続的に発生しており、「ヒグマほどではないから大丈夫」と軽視するのは非常に危険です。
一方で、ヒグマはより大型で、肉食傾向が強く、行動圏も広いという特徴があります。
北海道で記録されてきた過去の重大事故の多くはヒグマによるものであり、ヒグマ特有の「執拗に人を追う行動」が見られた事例もあります。
こうした背景から、「クマ=ヒグマ=極めて危険」というイメージが本州の方にも広く共有され、その結果、ツキノワグマの出没までヒグマだと感じてしまうことが多いのです。
本州でクマ被害のニュースが出たとき、それはヒグマではなくツキノワグマのケースがほとんどだと理解しておくと、情報を整理しやすくなります。
そのうえで、ツキノワグマに対しても「十分に危険な野生動物である」という認識を持ち、適切な対策を講じることが大切です。
ヒグマ目撃情報の誤認要因

なぜ本州で「ヒグマを見た」という声が出るのか
本州でクマの目撃情報が報じられると、「もしかしてヒグマでは?」という声がネット上で必ずと言っていいほど上がります。
しかし、現時点で本州の野山に野生のヒグマ目撃情報が公式に確認された例はありません。
行政や研究機関が発表している情報を見ても、「本州でヒグマの生息が確認された」といった報告はなく、本州にいる野生クマはツキノワグマと考えられています。
それでも、「ヒグマを見た」と感じる人が出てくる背景には、いくつかの誤認要因が重なっています。
第一に、クマの種類に関する基礎知識が共有されていないことです。
多くの方にとって、「大きくて怖いクマ」といえばヒグマの印象が強く、北海道と本州でクマの種類が違うという話は、ニュースや学校教育でもそこまで詳しく語られていません。
その結果、「大きいクマ=ヒグマ」と短絡的に結びつけてしまいやすくなります。
見た目からくる錯覚と記憶の曖昧さ
第二の誤認要因は、現場での視認条件です。
山の中でクマに遭遇するとき、多くは薄暗い林内や、斜面の向こう側、草むら越しなど、視界が悪い状況です。
しかも、こちらは突然の出来事に驚き、冷静に観察する余裕がありません。
そうした状況では、体格や毛色の印象が実際よりも誇張されて記憶に残りやすく、「とても大きかったからヒグマに違いない」と感じてしまいます。
大型で毛色がやや茶色がかったツキノワグマは、見慣れていない人から見るとヒグマに見えてしまうことがあります。
体重が100kgを超えるオスのツキノワグマも珍しくはなく、遠目から見ると「ヒグマ並みに巨大だ」と感じても無理はありません。
人間の脳は、恐怖を感じた出来事ほど記憶を強く焼き付ける傾向があるため、「とても大きかった」という印象だけが独り歩きし、冷静になってからも「やはりあれはヒグマだったのでは」と感じ続けてしまうのです。
情報のラベリングと拡散の問題
第三に、情報の「ラベリング」と拡散の問題があります。
動物園やサファリパークで飼育されているヒグマのイメージが強いと、本州イコールツキノワグマという知識がないまま、「大きいクマは全部ヒグマ」という認識になってしまいます。
実際には、本州の動物園で見かけるヒグマは、野外に放たれているわけではなく、厳重な設備の中で飼育されていますが、テレビやネット動画では「ヒグマ」というラベル付きで紹介されるため、「クマ=ヒグマ」というイメージを一層強めてしまいます。
さらに、SNSや動画サイトで広がる「ヒグマが本州に現れた」といった話題性のある情報も、誤解に拍車をかけます。
こうした情報は、元のソースをたどるとツキノワグマの映像であったり、海外のヒグマの映像だったりするケースも少なくありません。
それにもかかわらず、「ヒグマが」「本州で」というラベルだけが見出しやサムネイルで強調され、多くの人が内容を精査する前に「本州にもヒグマがいるらしい」と感じてしまうのです。
注意
本州で「ヒグマを見た」と感じた場合でも、ほぼ確実にツキノワグマか、飼育個体の誤解・噂と考えられます。ただし、ツキノワグマも十分に危険な野生動物なので、「ヒグマではないから大丈夫」と油断するのは絶対にやめてください。クマに関する情報は、自治体や環境省などの公式発表を必ず確認し、SNS上の噂や未確認情報だけで判断しないようにしましょう。
ヒグマの本州絶滅説の背景

更新世の本州に広がっていたヒグマ
「ヒグマは本州にはいない」と言うと、現代だけの話のように聞こえますが、実は過去の地質時代には、本州にもヒグマが広く分布していたことが化石から分かっています。
本州のヒグマ絶滅本州の歴史を押さえることで、なぜ今の分布になったのかが見えてきます。
化石記録によれば、およそ34万年前から2万年前にかけて、本州各地でヒグマが生息していました。
関東地方を含む広い地域からヒグマの化石が見つかっており、当時の本州は現在よりもずっと大型哺乳類の豊かな世界だったことが分かります。
マンモスやナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型草食動物が草原や森林を歩いていた時代、ヒグマはそれらの動物の死骸や小型哺乳類、果実などを利用しながら、食物連鎖の上位に位置する捕食者として生きていました。
氷期の終わりと環境変化
その後、氷河期が終わりに近づくと、地球の温暖化が進み、本州の植生は大きく変化していきます。
氷期の間に優勢だった寒冷な環境に適した植生は後退し、落葉広葉樹を中心とした温暖な森が広がるようになりました。
冷涼な気候と、広がった針葉樹林に適応していたヒグマにとっては、生息環境が徐々に厳しくなっていったと考えられます。
同じ時代、本州ではツキノワグマも生息しており、より温暖で落葉広葉樹林の多い環境に適応したツキノワグマが、生存競争で優位に立った可能性があります。
ツキノワグマは、木の実や柔らかい植物を中心に利用し、比較的狭い行動圏でも生きていけるクマです。
環境が変わる中で、ヒグマよりも柔軟にエサや生活様式を変えることができたツキノワグマが、本州側で生き残ったと考えると筋が通ります。
歴史記録にヒグマが出てこない理由
結果として、ヒグマは更新世の終わり頃までに本州から姿を消し、ツキノワグマだけが本州側に残ったというストーリーが最も整合的です。
歴史時代に入ってから、本州でヒグマ狩りが行われていたという記録は残っておらず、有史以降の本州にはヒグマがいなかったと考えるのが妥当でしょう。
古代の文献や伝承の中でクマが登場する場面はありますが、それらは本州のツキノワグマか、北海道や樺太方面からもたらされたヒグマの毛皮・交易品として語られるものです。
例えば、飛鳥時代や奈良時代の史書には、北方からクマの毛皮が献上されたといった記述が見られますが、本州の山でヒグマを狩ったという記述はほとんど見当たりません。
これは、「当時の本州にはヒグマがいなかった」「ヒグマの毛皮は北方から入ってくる珍しい交易品だった」という状況を示唆しています。
このように、化石記録から見た地質時代の情報と、歴史記録から見た有史以降の情報を組み合わせることで、「ヒグマはかつて本州にいたが、現在の人類の歴史が始まる頃にはすでにいなくなっていた」と理解することができます。
現代の本州で、「ヒグマがいたのに絶滅した」という話ではなく、「そもそも現代の本州には、ヒグマ分布が存在していない」というのが正確な整理です。
本州と北海道の動物相境界

ブラキストン線という見えない境界線
ヒグマは本州にはいないのに、津軽海峡を挟んだすぐ北の北海道には普通にいる。
この不思議な状況を理解するうえで欠かせないのが、「ブラキストン線」と呼ばれる動物の分布境界線です。
ブラキストン線は、津軽海峡付近を通る仮想的な線で、この線を境に北側と南側で生き物の種類が大きく変わることが知られています。
津軽海峡は最も浅い場所でも水深100m以上とされ、氷河期に海面が下がったときでさえ、完全な陸橋にはならなかったと考えられています。
結果として、北海道側と本州側の動物たちは、長い時間をかけて別々の進化の道を歩みました。
北海道側にはヒグマやエゾシカ、キタキツネといった北方系の動物が、本州側にはツキノワグマやニホンジカ、ニホンザルなどが中心となる動物相が形成されているのは、その象徴的な例です。
ブラキストン線がクマの分布に与える意味
この分布境界線を、19世紀に日本の動物相を研究したイギリス人、トーマス・ブレーク・ブラキストンにちなんでブラキストン線と呼びます。
ブラキストンは、鳥類の分布を調べる中で、北海道と本州で出現する種がはっきり分かれていることに気付いたとされます。
その後、哺乳類や爬虫類、昆虫などでも同様の境界が見られることが分かり、「北海道と本州では、実は生き物の世界がかなり違う」という認識が広まりました。
ヒグマについても同じで、ヒグマはブラキストン線の北側にしか自然分布していません。
一方、ツキノワグマはブラキストン線の南側に位置する本州・四国に分布し、北海道には自然分布していません。
このことが、「ヒグマは本州にはいない」「本州側ではツキノワグマがクマの役割を担っている」という構図の、地理学的な裏付けになっています。
豆知識
ブラキストン線は、クマだけでなく、鳥類や昆虫などさまざまな動物の分布にも影響していることが知られています。「なぜ北海道と本州で生き物が違うのか」を考えるうえで、とても重要な概念です。地図上で津軽海峡付近に線を引き、その北と南でどんな動物が暮らしているかを比べてみると、日本列島の生物多様性の奥深さが見えてきます。
ヒグマは本州にはいない背景の再検証
ここからは、地理・進化・人間社会との関係という三つの視点から、なぜ今の日本で「ヒグマは本州にはいない」と言い切れるのかを、もう一段掘り下げて整理していきます。津軽海峡という物理的な障壁だけでなく、本州のツキノワグマとの関係や、現代社会で生まれる噂の構造まで含めて見直していきましょう。「本当にゼロなのか」「将来増えてくることはないのか」といった疑問にも、できるだけ実務的な視点でお答えしていきます。
ヒグマ分布と津軽海峡の障壁

ヒグマはどこまで泳げるのか
ヒグマ分布を考えるとき、どうしても気になるのが「ヒグマが津軽海峡を泳いで本州に来る可能性はないのか?」という点です。
実際、北海道周辺の島々では、ヒグマが数十キロの海を泳いで渡ったとみられる事例が知られています。
海岸から沖合の小島でヒグマが発見されたケースや、海を泳ぐヒグマの姿が撮影されたニュースを見たことがある方もいるかもしれません。
こうした事例から、「ヒグマなら津軽海峡くらい泳げるのでは」と考えたくなりますが、現実はそう単純ではありません。
津軽海峡は単に距離が20km前後あるだけでなく、潮の流れが複雑で、波や風も強くなりやすい海域です。
ヒグマが泳ぐルートとしてよく紹介される「海岸から近い小島」や「湾内」とは難易度が桁違いで、疲労や低体温、波に飲まれるリスクを考えると、津軽海峡を渡り切れる個体が出る可能性は非常に低いと考えられます。
仮に渡ってきたとしても起こりにくいこと
専門家の中には、「距離だけを見れば理論上は泳げなくはないが、潮流などを考えると現実的ではない」という意見もあります。
これまでのところ、ヒグマが津軽海峡を横断して本州に上陸したという確実な記録はありません。
仮に、非常に稀なケースとして、1頭のヒグマが津軽海峡を渡り切ったとしましょう。
それでも、そこで繁殖集団をつくり、本州にヒグマ分布を確立するには、複数の個体が継続的に渡る必要があります。
また、本州側の環境がヒグマに適していなければ、その個体は短期間で姿を消してしまうでしょう。
既にツキノワグマが生息している山域では、利用できるエサ資源や寝ぐらの場所は限られており、後から入ってきたヒグマが安定した行動圏を確保するのは簡単ではありません。
人里の近くに現れれば駆除の対象になりやすく、山奥にとどまっても十分なエサが得られない可能性が高いのです。
ポイント
「理論上ゼロではない可能性」と、「現実的に起こり得るかどうか」は別問題です。現時点では、津軽海峡を越えて本州にヒグマが定着するシナリオは、極めて非現実的と考えておくべきです。少なくとも、「明日突然、本州にヒグマの群れが現れる」といった心配をする必要はありません。
ツキノワグマの本州個体差と混同

体格や毛色の幅が誤解を生む
本州の山で出会うツキノワグマにも、地域差・個体差があります。
体の大きさ、毛色、胸の月の輪の模様のはっきり具合などは千差万別で、中には「ほとんど真っ黒」「逆に全体的に茶色っぽい」といった個体もいます。
高標高域と低標高域、豪雪地帯と積雪の少ない地域など、環境の違いによって体格や毛並みも変化しますし、年齢や性別によっても印象は大きく異なります。
この個体差が、ヒグマとツキノワグマの混同を招く大きな要因です。
例えば、山の斜面で逆光気味に見えたクマが、体格の大きなオスで、毛並みがやや茶色かった場合、パッと見ではヒグマと感じても無理はありません。
さらに、姿を見た時間は数秒程度であることが多く、胸の月の輪を確認できないまま、全体の迫力だけが記憶に残ってしまいます。
四国のツキノワグマと保全の視点
ツキノワグマ本州の個体群の中でも、四国のツキノワグマは遺伝的に独自性が高いことが分かっており、保全の観点からも非常に大きな意味を持っています。
現在の推定生息数は数十頭規模とされており、絶滅の危機に瀕している地域個体群のひとつです。
そうした希少な個体群にとって、一頭一頭の命の重みは非常に大きく、誤った情報によって不必要な駆除圧が高まることは避けなければなりません。
個体数が少ない地域では、一頭の行動が地域全体のクマのイメージを左右してしまうこともあります。
「人里に出た=危険なクマ=すべて駆除すべき」と短絡的に捉えてしまうと、結果としてその地域のツキノワグマが消えてしまい、長い目で見た生態系への影響も無視できません。
ヒグマとツキノワグマの混同が、こうした保全上の議論を混乱させてしまう場面もあるのです。
豆知識
本州のツキノワグマは、「人の生活圏と重なりやすいクマ」という点で、ヒグマとはまた違ったむずかしさを抱えています。ヒグマとツキノワグマ、それぞれの生態とリスクを分けて考えることが、冷静な対策につながります。特にツキノワグマの保全が課題になっている地域では、「怖いから全部ヒグマ扱いする」のではなく、「自分の地域にいるクマは何者なのか」を知ることが重要です。
ヒグマ目撃情報が生まれる理由

「ヒグマ」という言葉のインパクト
ヒグマ目撃情報が本州でもたびたび話題になるのは、「ヒグマ」という言葉そのものが持つインパクトの強さによるところが大きいと感じています。
ヒグマは日本最大の陸上動物であり、過去には痛ましい人的被害を伴う事件も起きています。
そのため、「ヒグマが出た」となると、ニュースとしての注目度は一気に跳ね上がります。
メディアとしては、視聴者や読者の関心を引くために、「ヒグマかもしれない」というニュアンスを強調したくなる誘惑もあるでしょう。
一方、現場レベルで情報を追っていくと、多くの場合は次のようなパターンに分類されます。
- 目撃者の感覚的な印象(大きかった=ヒグマだと思った)
- ツキノワグマの写真や動画に、あとから「ヒグマ」とキャプションが付いた
- 海外や北海道のヒグマ映像が、本州の出来事として再共有された
- 「ヒグマではないか」という噂だけが独り歩きし、公式確認はツキノワグマだった
SNS時代の情報拡散とリスク
こうした事例を見ていると、ヒグマ目撃情報そのものより、「なぜそう思ったのか」「情報がどう広がったのか」を冷静に分析することが大切だと分かります。
SNS時代の現在では、一人の「ヒグマを見た」という投稿が、一気に全国規模で拡散されることも珍しくありません。
その過程で、情報が何度も引用・要約されるうちに、「かもしれない」が抜け落ちて「ヒグマが出た」という既成事実のように扱われてしまうこともあります。
本州でのクマ対策を考えるうえでは、「ヒグマかツキノワグマか」というラベルよりも、「どの地域で、どのような行動をとるクマが現れているのか」を重視した方が現実的です。
例えば、「家の裏の畑にクマが来た」「通学路近くの山でクマが目撃された」といった具体的な位置や時間帯、クマの行動パターンの方が、安全対策を考えるうえで重要な情報になります。
注意
クマに関する情報は、自治体や環境省などの公式発表を必ず確認してください。SNS上の噂や未確認情報だけで判断すると、不要な不安や誤った行動につながるおそれがあります。特に、「ヒグマだったから危険」「ツキノワグマだから大丈夫」といった極端な判断は禁物です。クマの種類にかかわらず、基本的な安全対策をしっかり行うことが何より大切です。
ヒグマ本州絶滅史の整理

年表で見るヒグマと本州の関係
ここで一度、ヒグマ絶滅本州の歴史を時系列で整理してみましょう。文字だけで説明するとイメージしにくいので、ざっくりした年表にまとめてみます。
ヒグマと本州のざっくり年表
- 約34万年前〜2万年前:本州各地にヒグマが広く分布(化石記録)
- 約1万2千年前:氷河期の終わりとともに温暖化が進行、本州の植生が変化
- その後:本州のヒグマが徐々に減少し、絶滅したと考えられる
- 有史以降:本州でヒグマ狩りやヒグマ生息を示す確実な記録は残らず
- 現代:ヒグマは北海道のみ、ツキノワグマが本州・四国に分布
この流れを踏まえると、「本州のヒグマは絶滅した」と表現するのは、おおむね更新世末期までさかのぼる古い話だということが分かります。
現代の本州で、「昔はヒグマがいたのに、ここ100年ほどで絶滅してしまった」という話ではなく、「人類の文明史が本格的に始まる前の段階で、すでにヒグマはいなくなっていた」というイメージが近いです。
北海道との対比で見える現在の状況
一方、北海道のヒグマは現在も生息数が多く、人里への出没や人身被害をめぐって、ヒグマを絶滅させるべきかどうかという議論まで巻き起こっています。
過去には三毛別羆事件のような大規模な被害もあり、近年でも農業被害や人身事故が継続的に発生しているため、道内ではクマ対策が重要な行政課題のひとつです。
このように、本州と北海道では、ヒグマとの付き合い方が根本的に違います。
本州では、「ヒグマは本州にはいない」「ツキノワグマが身近なクマ」と認識したうえで対策を考える必要がありますが、北海道では「身近にいるクマがヒグマであり、体格も行動もツキノワグマより一段危険」と考える必要があります。
同じ「クマ対策」という言葉でも、その中身は地域によってまったく異なることを忘れてはいけません。
ヒグマは本州にはいない理解のまとめ

地理・歴史・生態を総合して見た結論
ここまで見てきたように、ヒグマは本州にはいないという理解は、「たまたま今はいないだけ」の話ではなく、地質時代から続く環境変化と生態系の歴史の結果です。
津軽海峡という地理的障壁、気候と植生の違い、ツキノワグマとの生態的な棲み分けが重なり合って、現在の「北海道にヒグマ、本州にツキノワグマ」という構図ができあがりました。
本州にお住まいの方にとって大事なのは、「ヒグマがいるかどうか」ではなく、「ツキノワグマがどのような環境で、どのように人間と接触しやすいか」を知ることです。
自分の住んでいる自治体がクマの出没情報をどのように発信しているか、どの季節にどのような場所でクマが現れやすいかを、日頃からチェックしておくと安心感が大きく変わります。
安全対策と情報との付き合い方
クマとの実際の距離を考えるうえでは、装備や行動も重要です。
登山やハイキングでは、クマ鈴やラジオなど音の出るものを身につけ、人の存在を早めにクマに知らせることが基本です。
また、食べ物やゴミをその場に放置せず、必ず持ち帰ることも、クマを人里に引き寄せないための大切なマナーです。
状況によっては、クマとの距離を保つための具体的な装備や行動戦略や、クマは火を恐れないという現実を踏まえた対策なども参考になるでしょうが、まずは自分の住む地域のクマ種と分布を正しく理解するところから始めてください。
最後に、強くお伝えしたいのは、「ヒグマかツキノワグマか」にこだわり過ぎてしまうと、本当に必要な安全対策が後回しになりかねないということです。
山に入るときはクマ鈴やラジオ、複数人での行動、薄暗い時間帯の行動を避けるといった基本を徹底し、クマの最新の出没情報は必ず自治体や環境省などの公式情報で確認してください。
重要な注意事項
本記事で紹介している内容や数値は、あくまで一般的な目安であり、すべての地域・状況に当てはまるとは限りません。正確な情報は必ず自治体・環境省などの公式サイトでご確認いただき、最終的な判断は猟友会や自治体の担当部署、野生動物の専門家などにご相談ください。クマとの距離感を適切に保つことは、皆さん自身の安全のためであると同時に、日本の貴重な野生動物を守ることにもつながります。
